トップモノ語り

まだフィネスと呼ばれる前のこと

これとスライダーワームさえあれば必ずバスが獲れると思ってた
Hi-CARBON J8156UL 5'6" : PRO-KENNEX
Cardinal 3 : ABU

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 中学3年生だった1987年、創刊されたばかりのBasserという雑誌に出会いました。そこでバストーナメントと最新のテクニックを知り、簡単にヤラれてしまった僕はJBTA(現在JBおよびNBC)のジュニアメンバーに登録しました。
 翌88年、釣り糸メーカーのTORAY(当時は東レ)がメンバーを募集していたジュニアチームに所属することになりました。
 それから高校3年になる91年までトーナメントに出場していました。ジュニアの大会は手漕ぎボートに2名乗船というレギュレーションだったので、狭いエリアにボートがひしめきあう状況が早々に起きていました。

 まだ学生ですから道具も無く釣り方を広げられない、プラクティスなんて頻繁に釣りにも行けない、手漕ぎで同乗者がいるから場所選定や大移動もやりにくいという中で、一番最初に考えたのはプレッシャーのかかるタフコンディションの中で何とかバスを獲れる得意技を一つマスターしなきゃイカン!ということでした。

 それまでバスはベイトタックルで釣るのが格好イイと思っていたのですが、1988年夏の西の湖の大会に出て、関東所属のジュニアメンバー達にライトリグの有効性を教わりました。
 河口湖で腕を磨いていた彼らは当時からスピニングタックルを駆使し、タフコンディションの中でもバスを釣る工夫を重ねていたのでした。

 そこで僕が白羽の矢を立てたのはスイミングワームと呼ばれる釣り方でした。スピニングタックルを使って軽いジグヘッド+4インチワームをゆっくり泳がせるという方法です。タフコンディションに強いのが特徴ですが何より投資が少なくて済むという点が魅力的でした。

 これをモノにしたいと考えた僕は、自転車をカッ飛ばして豊中にあるインターパルス大阪という釣具屋さんへ行ったのでした。そこで購入したのがこの竿とリールです。PRO-KENNEXといえばテニスラケットなどのスポーツ用品で有名なブランド。この店で見るまで釣り竿を作っているとは知りませんでした。

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ブランド名のプリント

 事実新規参入が難しかったようで、1~2年後には釣具事業から撤退したとのことでした。市場にあまり出ることが無かったせいか、珍品と言えるほど他に見かけない製品になってしまいました。

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竿の名前のプリント

 確か10,000円を切るくらいと当時のカーボンロッドとしては比較的価格が安く、6フィートのライトアクションと悩んだ記憶があります。
 結局5フィート6インチのウルトラライトアクションを選んだのですが、これがかなりのベナベナで柔らかいものでした。6ポンドラインで40cmくらいのバスを掛けると大きく撓んで糸鳴りがするほどの竿です。

 リールもほぼ同時に買ったと思います。当時ドラグ性能が格段に上がったと話題だったダイワのトーナメントEXがたいへんな高値で、とても手が出なかったのを覚えています。
 そこでカーディナルを選びました。12,000~13,000円くらいだったと思います。お尻についたドラグダイヤルが格好良い憧れのABUですが、ちょうど日本製品が価格も性能も凌駕していく時期だったのですね。何だか少し複雑な気持ちになったものでした。

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Cardinal 3の左側

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Cardinal 3の右側

 この後より細く、より小さく、より繊細な道具立てで狙うバスフィッシングがトーナメント内外を問わず急速に進歩し、いつの頃からかフィネスと呼ばれ、日本独自のスタイルの一つとなっていきました。
 もはやABUではなく日本のメーカーがこうした状況を読み取り、新しい製品を提案していく頃だったのです。

 この道具を持って琵琶湖に通い、スライダーワームを投げて釣りまくりました。当時はまだオリザラでバカバカ出るとかDB3マグナムでデカいのがバンバンと言われた琵琶湖伝説の直後でしたから、僕の腕前でも1日でワームのパッケージが2つ(24本?)なくなってしまうほどたくさん釣れた時期でした。
 0.5号の中通し丸型オモリを付けて底をずるずる引っ張って、神経を張り詰めてアタリをとるという練習に、これほどたくさんのバスが相手をしてくれたおかげでこれさえあればどんな時でもバスが獲れると思える自信を付けました。

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 しかし同時にトーナメントに参戦する内に、バストーナメントがプロスポーツとして社会的な地位を獲得していないことを知ることにもなりました。所属していたジュニアチームからプロ登録の道もあったのですが、バスプロになろうとは思いませんでした。

 トーナメント成績もあまり良くなかったのですが、何より高校卒業後すぐに競技者として活躍しても、とても身を立てていけるものではなかったのです。
 その一方で関心はバストーナメントに留まらず、釣りを含めた漁業と日本の水域全体について勉強したい、と思うようになっていったのでした。

 PRO-KENNEXの竿はトーナメントに出ても他で見掛けることが無かったのですが、大学生になってからPRO-KENNEXのベイトロッドを使っている先輩がいて驚きました。この珍品、使っている人を見たのは後にも先にもこの人だけです。

 リールは1992年の夏、大学のサークル(アウトドアライフ同好会)の同級生3人と北海道に旅行に行った際に失くしてしまいました。釧路川の塘路湖から岩保木水門(いわぼっきすいもん)までをカナディアン(オープンデッキ)カヌーで下ったのですが、川から上がって後片付けする際に積み忘れてしまったのです。
 思い入れがあったので、2000年頃代々木のカディスで買い直したのが現在のこの個体です。後にモデルチェンジした新デザインが不人気だったのか、この旧デザインの物が人気商品となっていたせいか、新品購入時とあまり変わらない値段でした。

Appendix インターパルス大阪

 今江克隆プロの『バスフィッシングのシークレット48』という本の中に、中学1年の頃、2年分のお年玉を持って自転車で90分かけてアンバサダーを買いに行ったというエピソードで『インターパルス大阪』という釣具店が出てきます。
 阪急宝塚線の服部駅(2013年に服部天神駅に改称)の近く、国道176号線服部本町交差点の角にあり、一階が総合釣具店『シャーク』、二階がルアー専門店『インターパルス大阪』になっていました。

 脇の狭い階段をトントンと上がり、中に入るとガラスケースにルアーやリールが並び、話の面白い親父さんが居て、懐かしく思い出したものです。派手な宣伝はしていなかったようですが、当時から品揃えの豊富な店でした。ちなみに僕の家からインターパルス大阪まで自転車で片道30分くらいかかりました。

 今江プロは私と同じ市内の在住だったのですが、彼の住まいは市の北の端の方にありました。彼が通った高校は彼の家の近くなんですが、その高校へ7年後に僕が通うことになりました。つまり今江プロは母校の先輩なんです。
 その母校までは、空手道部で汗を流していた高校生の自転車で自宅から片道45分掛かったんです。間違いない。僕、何度かこいで行ったから(笑)
 人も年齢も道も違うので単純に30+45分というワケじゃありませんが、中学1年の今江少年は寒い中、片道90分バッチリこいで行ったんです。僕は自身の経験から間違いないと断言します。

2024.08.21 一部改訂

 写真を修正し、文章を一部改訂しました

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